Owners Voice 琥珀色の迷宮

番外編 こども達の太平洋戦争…琥珀色の迷宮No.20

あれは千年も昔の事か?

戦後のガレキの中、食べ物もないその日暮らしの中で、海で魚を、畑で野菜を、そして民家でニワトリを調達して(海の中以外は全てドロボーであったが)、子供心に罪悪感は何もなかった。

毎日自転車に乗ってサイクリングしたりランニングなどをしたり健全なる子供のように見えるが、実は大根・蓮根などの野菜とニワトリを盗む下見である。

今まで国内で差別を受けていた戦勝国の朝鮮人、中国人は立場が逆転し、活気づいたため顔を合わせるたびに喧嘩をやっていた。

時には松山市を流れる川の中に何人もの大人の死体さえ浮いていた時代である。

しかし子供達の夜は、畑の中で敵対するガキ同士が出会うとナイフも鉄パイプもなくお互いの戦利品の交換である。

殺気立った空気もなく、笑いながらの夜が何日か続いた。

彼等にも私達にも生きてゆく、しかも共存して生きてゆく心があったとしか思えない。

後日彼等に会っても闘争心が湧かない。憎しみがなくなったのである。

逃がしたり、逃がしてくれたりしていた最中に一人の朝鮮人の子供が殺された。(殺したのは日本人だった)

私と仲が良くなった一人である。

私は泣いた。

声を出して泣いた。

道路に座り込んで泣いた。

五人の朝鮮人が私を取り囲んでいた、全く気が付かなかった。

泣きながら“殺されてもいい”と子供心に覚悟を決めた。

しかし、その時五人は一緒に座り大声で泣き始めた。

私は泣きながら思った“これが人間の心の原点か”悲しみも憎しみも国境は無いと彼等から学んだ。

彼等は今生きているのか。生きていて欲しい。

たとえ祖国が南と北に別れても生きていて欲しい。

私の人生の中で忘れ去るには強烈すぎる出来事だった。

五人の友に言いたい、この事はいつまでも忘れない。

只、忘れてほしい事がある。

未来はどの国にも渡さないという片寄った考えは捨ててほしい。

小さな島など相手に渡してやれ。

そしてもっと大きな国際的な信用と偉大さを全世界の人々に印象付ける方が遥かに得だ。

そして何を捨て、何を得るか?

 

日本という国は外交がヘタである。

どちらが先に渡すか?

渡した国が勝ちを拾う。

色々両国とも事情はあろう、しかし世界は見ている。

潔く、気持ち良く渡した国を賞賛する事を・・・力で島一つ取っても両国の感情は良くならない。

 

腹をさらけ出しての言葉をていねいに使える外交官がいれば必ずうまくゆく。

外交官は意向を伝えるのではなく心を伝えるのが役目である。

人は強く見えても腹の中は弱い物だ、だから強硬に出てくる。

こちらも同じであればぶつかるのは当たり前。

話し合いとは相手の言い分を充分真剣に聞いてやりながら、その間にこちらの言い分を相手にぶつける。

今の国会議員でこれがやれるのは石破しかいない。

彼のしゃべり方はうまい、天性のものか努力のものか、いや良心から生まれたものだろう。

先ず言葉に温度差をつけ、声にも同じく強弱をつける、非常に聞きやすくよく理解できる、ヤジがとばせにくいしゃべり方である。

私も67年間言葉を一つ一つひろいながら生きてきた人間である。

彼がしゃべると必ず聞いてみようと思う、まるで役者のようである。(元々人間は全て役者であるが・・・・・・)

願わくば答弁の最初に1〜2秒遅く言葉を出せば聞く側の姿勢作りができる。

貴重な日本国の切り札となるべき人物である。

私と同じ石破も恐い顔をしているが笑いすぎるのはどうか、そこだけ御注意。

GLENLIVET

  • Pagetop